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東欧の民主化革命はソ連に対しても

連邦制の動揺という形で跳ね返ってくることとなった。エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国の独立要求である。こうした連邦内の動揺に対して、ゴルバチョフはソ連の国内改革によって事態を収拾しようと試み、1990年連邦に対しての強大な権力を与えた大統領ポストを創設し、自らソビエト連邦初代大統領(結果的に最初で最後の大統領)に就任した。
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バルト三国の独立については、東欧諸国とは違いソ連軍を投入し武力で鎮圧する立場を取った。同時にゴルバチョフがこれらの国に入って市民と対話しようと試みるも、ソ連軍の介入によって逆に独立感情が高揚。結局リトアニアが1991年3月、エストニアとラトビアは8月に独立宣言を行い、従来の15共和国による連邦体制は崩壊した。なお、エストニアでは実際には独立宣言ではなく「独立確認」という形式がとられた。これに関して、「エストニア議会の理解では、50年に及ぶソ連による占領にも関わらずエストニア国家は法的に『存続』したのであり、改めて『独立』宣言することの矛盾が容認できなかった」ためとする説がある[1]。

1991年8月19日、守旧派の党官僚によるクーデター(ソ連8月クーデター)の失敗は、ソビエト連邦とソ連共産党の崩壊を決定的なものにした。クリミアでの軟禁を解かれたゴルバチョフは直ちにソ連共産党の活動停止を指示した。ここに、1898年に創設され、世界最初の共産主義政権を打ち立て、全世界の共産主義政党をリードしたソ連共産党はその歴史に幕を閉じた。またゴルバチョフの求心力は決定的に失落、かわって反クーデター運動をリードした、ボリス・エリツィンが新生ロシアのリーダーとしてその存在感を大きなものにしつつあった。また、ウクライナもソ連邦からの離脱を国民投票で決めており、12月8日に急遽行われたロシア、白ロシア、ウクライナの代表者による秘密会議においてベロヴェーシ合意が宣言され、3カ国のソ連邦の離脱とEUと同レベルの国家の共同体の創設が確認された。その後ロシア共和国をはじめとした12共和国によってソ連に変わる新しい枠組みとして独立国家共同体(CIS)が創設されたことで、ソ連はその存在意義を完全に喪失した。こうした中で12月25日、ゴルバチョフはソ連邦大統領辞任を決意し、辞任と同時にクレムリンに掲げられていた赤旗(ソビエト連邦の国旗)も降ろされることとなった。その直後に、モスクワでは市民によってレーニン像が次々と破壊されていった。これはソ連崩壊を象徴する場面の1つとなっている。

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2009年06月01日 15:27に投稿されたエントリーのページです。

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